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よくわかるポピュラー音楽史 〜黒人音楽ブルース、ジャズの成り立ち〜

 

現代には、様々な音楽ジャンルが存在しています。

ポップス、ロック、R&B、レゲエ、ヒップホップ、ジャズ、EDMなど、パッと思い浮かべるだけでもこれくらいはすぐに口から出てきますね。

例えばロックを見てみれば、ハードロックやオルタナティブロック、プログレッシブロックにグラムロックなど、一つのジャンルの中にもたくさんのサブジャンルが存在しています。

 

これらのジャンルはすべて、その時その時の時代背景のもとで生まれた音楽です。音楽は日々新しくなっていると言えるでしょう。

しかし、現代の若い世代の方たちを見てみると、音楽ジャンルを意識して聴くというよりは、アーティストやアイドルなどの偶像性に惹かれて音楽を聴いているように感じています。

もちろん、それを否定するわけでは一切ありません。そういった音楽の楽しみ方をする人は昔からいたはずですし、それが音楽の世界に入り込む一つのきっかけでも良いと思っています。かく言う僕にだって、その偶像性にファンとして憧れているアーティストはいますし。(三代目 J Soul Brothersの登坂 広臣さん、ソロプロジェクトめっちゃかっこいいですよね。←)

 

ただ、僕はミュージシャンとして多くの音楽を日々研究している身でもあるので、ジャンルのルーツを知ることで、音楽をもっともっと深く楽しむことができることを知っています。

この音楽体験を、多くの人たちにぜひ知って欲しいと思ったわけです。

 

ポピュラー音楽史は、深く知ろうとすると結構大変です。その中でも特に重要な部分だけを噛み砕いて説明すれば、音楽を深く知らない方にも読み物として楽しんでいただけるのではないか。そう思い立っていま、パソコンに向かってこの記事を執筆しています。

 

前置きばかり長くなってもしょうがありませんね。

さっそくポピュラー音楽の世界に飛び込んでいきましょう!

 

目次

ほとんどの音楽ジャンルが元々は黒人が作り上げた文化

 

まず、大前提として覚えておきたいのはこれ。音楽ジャンルのルーツの部分です。

実は、現存のポピュラー音楽のジャンルのルーツを辿れば、その多くが黒人音楽にたどり着きます。

人によっては意外に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、黒人はあらゆる面においてセンスに富んでいる人種です。特に芸術分野においては、その発想力、発明力はずば抜けています。

一方の白人は、そういった文化を吸収し、上手に発展させることが得意である人種だと言えるでしょう。黒人文化に触れた白人は最初こそそれらを否定しますが、やがて自分たちの物にし、音楽を商業的な分野へと昇華させていきます。

 

世界史的に見てもそうですが、黒人と白人の間には深い深い溝が横たわっています。しかし、それは音楽においては当てはまりません。多くの音楽ジャンルのルーツを生み出したのは黒人ですが、その発展に白人が寄与していたことは紛れもない事実です。

現在は人種に関わらず、世界中で多くの人が様々な楽曲を生み出しています。こういった環境が出来上がったのは、黒人文化と白人文化の衝突や融合があったからだということをぜひ覚えておいてください。

 

事項からもう少し詳しく見ていきましょう。

 

音楽ジャンルの発展は黒人奴隷制度から始まった

白人音楽と黒人音楽の違い

 

白人音楽の代表例といえば、西洋に端を発するクラシック音楽ですね。元々は宮廷などの貴族階級、上流階級が楽しむ高尚な音楽として始まり、次第に民衆たちの身近なところにまで流れていったジャンルです。

 

そんな白人たちが黒人の文化と交わることになったのは、奴隷制の確立がきっかけです。

西洋の白人たちはアメリカ大陸を発見すると、その広大な大地でプランテーションなどの農場を運営することに決めました。16世紀頃から、アフリカから黒人を強制的にアメリカに連れてきては、きつい労働を命じるようになります。

 

その時に初めて、白人たちは知るわけです。

黒人たちが労働中に歌う、彼ら特有の音楽を。

 

黒人にとって音楽は大切な文化

 

アフリカに住んでいた黒人たちにとって音楽は、社会的な機能を担う重要な文化でした。

彼らは何をするにも歌います。葬式をする時やスピリチュアルな儀式をする時、狩猟に行く前などにも歌が必須です。彼らにとって音楽は、本当に身近にあったものなのです。

白人たちにとっては音楽は上流階級のための娯楽でしたから、黒人たちがきつい労働を強いられながらも、軽やかに歌を歌っている姿はさぞ奇妙に映ったことでしょう。

 

そもそも、白人音楽と黒人音楽は、それぞれがまったくタイプの異なるものでした。スケール(調、いわゆるドレミファソラシドのこと)の音も違うし、リズム感も違う。

クラシック音楽は清廉な音楽を目指してきたため、とにかく響きの美しさが追求されていました。一方の黒人たちは、特殊なスケールを使った独特な響きを奏でていました。白人たちにとってそれはまったく知らない響きだったので、そこに美しさを感じることができず、自分たちの音楽との違和感しか感じなかったのです。

 

白人たちは黒人たちから言語と宗教を剥奪しますが、歌までは取り上げませんでした。

黒人たちが歌うことで、リズム感をつけて作業効率を上げたり、労働の精神的な辛さを和らげていることを察したからです。

 

やがてその労働歌は、フィールド・ハラー(一人歌唱、叫び)やワーク・ソング(集団歌唱)と呼ばれるようになります。歌唱時に労働者同士で声の掛け合いもしていたようで、コールアンドレスポンスの原型もここで生まれたと言われています。

 

・フィールド・ハラー

 

・ワーク・ソング

 

白人は黒人に対して宗教も強要することとなりますが、元々宗教音楽も多彩な文化を生きていた黒人たちは、白人たちが生み出していた教会音楽を黒人霊歌へと発展させていきます。

教会には白人たちの厳しい監視の目がなかったので、手拍子や踊りを交えながら、彼らは独自の音楽を思う存分を楽しんだと言われています。

フィールド・ハラーやワークソングはもとより伴奏のない、いわゆるアカペラ歌唱がメインでした。そこに黒人霊歌が生まれ、黒人たちは伴奏に合わせて集団歌唱をすることの楽しさを覚えます。

 

ブルースの誕生

奴隷解放宣言が黒人にもたらしたもの

 

1862年、当時のアメリカ大統領エイブラハム・リンカーンは奴隷解放を宣言しました。これは黒人たちにとって大きな出来事となります。

 

もちろん、良いことばかりではありません。

 

奴隷としての立場は便宜上解放されても、白人たちの黒人に対する対応はとても厳しいものでした。差別は当たり前のようにされるし、奴隷解放後も農場で小作農として働かされる。加えて、黒人たちに特別に許されていた教会での歌唱も、「もう宗教も強制してないし必要ないでしょ」とばかりに禁止されてしまいます。

奴隷解放宣言があっても、状況が良くなるかと思いきや、根本的な部分では何も変わっていない。黒人たちが深い悲しみを覚えたのは言うまでもありません。

 

しかし、ブルースという音楽ジャンルは、これがきっかけで生まれることとなります。

 

奴隷から解放されて、自分一人の時間が増えた黒人たちは、これまでは仲間たちと楽しんでいた労働歌や黒人霊歌に、自分一人で挑戦するようになります。

奴隷文化がアメリカ南部に集中していたこともきっかけの一つだったでしょう。ギターが手に入りやすい地域だったので、黒人はギターを弾きながら、自分たちの孤独感や悲しみを伴奏に合わせて歌うようになったのです。

 

ブルースの語源はブルーから来ています。よく『ブルーな気持ち』と言いますが、実はこのブルーは、空の色を指しているのではないかと言われています。

黒人たちにとって空が青く晴れた日は、強制労働が決行されることを意味します。一般的に心地よい気分になるはずの青空は、黒人たちにとっては憂鬱の象徴だったのです。感情表現としてのブルーという言葉はこうして生まれました。

 

ブルースの定義としてよく挙げられるのは、「黒人たちが個人的な感情を歌にした」というものです。

これまでは労働時のモチベーションアップのための掛け声として、あるいは教会で神への祈りとして歌っていたものが、自身の境遇について歌うようになったのです。黒人音楽特有の音階やコードと相まって、エモーショナルで力強い音楽が誕生しました。

 

アメリカ南部で生まれたブルースはデルタ・ブルースと呼ばれています。この当時のブルースは、伴奏にギターとハーモニカを使用しているのが特徴です。

 

テープレコーダーの誕生で数々の民謡が記録される

 

1900年代に入ると、テープレコーダーが誕生します。これは音楽史において大きな転換期となりました。

これまでは演奏家の元へ行くことでしか音楽を聴くことができませんでしたが、テープレコーダーにその音楽を記録することができるようになったのです。

 

1933年、民謡研究家であったジョン・ローマックスと、その息子のアラン・ローマックスは、各地の民謡をテープに記録して収集するべく遠征に出かけることとなります。白人の親子がアフロアメリカン(アフリカ系アメリカ人)たちのブルースに触れたのはその時です。

当時、黒人男性は刑務所で生活していることが多くありました。ちょっとしたことで差別的に逮捕されてしまった人もいれば、気性が荒く罪を犯したことで刑務所に入れられた人もいたわけですが、ローマックス親子は民謡採集の旅をしているうちに、「刑務所に行けばたくさんの歌が溢れている」という噂を耳にします。

驚くことに親子は、刑務所までレコーディングしに行っちゃうわけです。黒人たちの溜まり場に、白人親子が二人でレコーディングをしに行くのは大変な覚悟だったと思います。

 

ローマックス親子は刑務所で、その地域では有名だったミュージシャン、レッド・ベリーと出会うこととなります。

レッド・ベリーは酒癖も女癖も悪いうえに、高慢な性格で気性も荒いような悪漢でしたが、音楽においては素晴らしい演奏家であり、シンガーでした。

 

Lead Belly(1888.01.20〜1949.12.06 61歳没)

 

 

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彼はブルースシンガーとしての能力もさることながら、数々の民謡を記憶してそれを演奏できる能力を持っていて、フォークシンガーとしても活躍するようになります。

 

1941年になると、アラン・ローマックスはロバート・ジョンソンというブルースシンガーの噂を耳にします。

ギターを片手にアメリカ中を歌って旅しているアフロアメリカンで、その演奏技術があまりに高すぎるゆえに、『悪魔と取引して、命と引き換えに音楽的才能を手に入れた男』と人々に言わしめていた人物です。

 

Robert Johnson(1911.05.08〜1938.08.16 27歳没)

 

 

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しかし旅をしている最中で、ロバート・ジョンソンが1938年に27歳の若さで亡くなっていたことが判明します。

残念ではありましたが、ローマックスに奇跡が訪れます。新たなブルースシンガー、マディ・ウォーターズを発見したのです。

マディ・ウォーターズは尊敬する人物にロバート・ジョンソンを挙げており、彼に憧れる想いでギタープレイを習得し続けていました。ローマックスは彼の演奏と歌声を録音することとなりますが、マディ・ウォーターズにとってはそれが、人生で初めてのレコーディングとなったわけです。

 

黒人大移動によってブルースがアメリカ北部のトレンドになる

 

時を同じくする頃、アメリカ南部にいたアフロアメリカンの多くが、アメリカ北部へと移動していきます。南部は人種差別や劣悪な労働環境が問題になっており、黒人たちはより良い生活を求めて、すでに都市化が進んでいて生活環境も優れていた北部に移り住むようになったのです。

アメリカ南部の民謡として知られていたブルースは、この黒人の大移動に伴いアメリカ北部の都市部で大流行することとなります。

 

マディ・ウォーターズも、ローマックスとのレコーディングから2年後の1943年にシカゴへと移住しており、以後はチェス・レコードにて楽曲レコーディングに励むことになります。

北部では当時、アコースティック楽器ではなく、エレクトリック楽器が使われるようになっていました。マディ・ウォーターズもいち早くブルースにエレキギターを取り入れており、やがてバンド形式でエレキサウンドを披露していきます。ブルースの新ジャンル、シカゴ・ブルースの誕生です。

 

Muddy Waters(1913.04.04〜1983.04.40 70歳没)

 

 

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ジャズの誕生

 

黒人たちがアメリカ北部へ大移動をする半世紀近く前から、アメリカ南部では白人音楽と黒人音楽の融合が始まっていました。

基本的にアメリカ南部はヨーロッパ人に征服されていたので、白人音楽がアメリカ南部に流入するのに時間はかからなかったのです。

 

この頃にはクラシックは上流階級だけではなく、民衆たちにも楽しまれる音楽になっていたので、黒人たちがクラシックを耳にする機会もたくさんありました。

そうなるともちろん、黒人たちの中にも、クラシック音楽のような清廉な音楽に憧れるミュージシャンが現れてきます。

 

スコット・ジョプリンが特に有名でしょうか。

彼は音楽的才能に溢れていて、両親は生活費を削って彼にピアノを買い与えました。当時は差別が激しい時代だったので、何か秀でた一芸があれば、将来的に自分の子供の生活が安定するかもしれないと思ったのでしょう。事実として、スコット・ジョプリンはピアノ奏者として世間から注目を集めることになります。

 

そんな彼は、クラシック音楽家としてのキャリアを願ったアフロアメリカンの第一人者でもありました。

当時の世相では当然、クラシック楽団が黒人の加入を認めるはずもありませんでしたが、彼の情熱は衰えることなく、クラシック音楽と自分たちのルーツである黒人民謡を音楽的に結び付けていく研究に励みました。そうして生まれた音楽ジャンルがラグタイムです。

ラグタイムはまったく新しい、黒人が奏でるクラシックとして流行しました。スコット・ジョプリンの楽曲、『The Entertainer』を知らない人はいないでしょう。生きているうちに必ずどこかで聴いているはずです。あらゆるところでBGMとして使用されています。

 

Scott Joplin(1868〜1917.04.01 49歳没)

 

 

 

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ラグタイムが流行しても白人が黒人のクラシックを認めることはありませんでしたが、ブルースを親しんできた黒人たちのあいだで、ラグタイムとブルースを融合させる動きが見られるようになります。

クラシック音楽のような多人数編成で、歌ではなく楽器の美しいアンサンブルで人を魅了する音楽を、ブルースに導入したいと考えたわけです。

 

やがて黒人たちは、ニューオーリンズ州で、ブルース特有の響き(よくブルージーな音、と表現されます)をバンドスタイルで美しく奏でることに主眼をおいたスタイルを確立していきます。これがジャズの誕生です。

第一人者はバディ・ボールデンであったとされています。彼が実際に演奏していた楽曲は残されていませんが、彼の楽曲をカバーしたバンドは複数存在しています。

 

Buddy Boldenとそのバンド
上段左から2人目が本人

 

クラシック音楽への対抗心や、人種差別への反発心が起爆剤となり、ジャズ音楽は瞬く間に発展していきました。楽器だけの編成ということもあり、主にリズム面での発展が特徴的です。

現在に至るまで人々に愛され続ける重要なジャンルであり、現代音楽にもとても大きな影響を与えています。

 

ジャズが注目されるようになると、白人のミュージシャンたちもこのエモーショナルな音楽に興味を持つようになります。

次第に白人のジャズバンドも誕生し、1917年には、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドが世界で初めてジャズレコードを発売します。

 

The Original Dixieland Jazz Band

 

 

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【終わりに】続きはまた次回!

 

程よく重要な部分だけ解説を挟んできましたが、いかがだったでしょうか。

僕たちが日頃聴いている音楽は、こうした人種間の文化の融合から始まっています。歴史を覗いてみると、意外と面白くないですか?

 

今回はとりわけブラックミュージックのルーツについて解説してきましたが、次回は白人音楽の変遷について語っていきます。クラシックのような上流階級の音楽から、労働階級に親しまれていたカントリーまで、白人にも特有の音楽が存在しています。ぜひお楽しみに!

 

それでは今回はこの辺で!

また次回の記事でお会いしましょう!

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